閑谷神社 冬の岡山の風景
閑谷神社 岡山の風景 岡山県備前市閑谷748
徳川光圀、保科正之と共に、天下の三名君の一人に数えられた備前藩主・池田光政公が、庶民の教育を目的として1670年(寛文10年)に設立したのが閑谷学校です。設立に際して領内各地を見て回った光政公が、「山水閑静にして読書講学」にふさわしい場所であるとしてこの地を選び、学校を建てさせました。
現在の姿が完成したのは光政公没後の1701年(元禄14年)のことですが、江戸時代の学校の状態を最も完全に残しており、往時の雰囲気を今に伝えるものとして「特別史跡」に指定されており、講堂が国宝、その他25件の建物等が重要文化財に指定されています。
そんな閑谷学校の敷地内に立つのが「閑谷神社」。光政公を祀るために1686年(貞享3年)に建てられたもので、元は「芳烈祠」「東御堂」と呼ばれていましたが、1875年(明治8年)に輝政公(光政公の祖父)および利隆公(光政公の父)を合祀し、閑谷神社と改称されました。こちらも重要文化財にしていされています。
道路が広げられアスファルトで舗装されたほかは、光政公が「この場所に」と決めた当時とあまり変わっていないのではないかと思えるような、今も自然豊かで閑静な環境の中に位置する「閑谷学校」の敷地内にあって、こちらの神社もまた静かに穏やかに鎮座していました。