庄原市高野町の秋の風景 広島の風景

庄原市高野町の秋の風景 広島の風景庄原市高野町の秋の風景 広島の風景

島根県の出雲市から奥出雲を通り、岡山に向かって走っていた時のこと。途中の広島県庄原市高野町で、とても穏やかで美しい風景に出会いました。

それは取り立てて珍しい風景というわけではありませんでした。

有名な建築物が立っているとか、歴史ある神社仏閣が存在しているとか、遠くからも目立つ巨木が立っているといったような、「特別に印象的な風景」というわけではありません。

むしろ、どこにでも見られるような、典型的な「日本の里山風景」です。田畑があって、家があって、その後ろには山があって木が生えていて。

多分、日本中どこでも見られるような風景です。きっと、日本中どこにもあるような光景です。

それでも、その景色は、すーっと目の中に飛びこんできて、すとんっと海馬に座ったのです。その日、その時の、感情や気持ちや精神状況や体調や、そういった色々なものが作用したのかもしれませんし、そんなものは全く関係がなかったのかもしれません。

とにかく、その風景はすっと心の中に入ってきたのでした。目の中に、脳の奥に、入ってきたのでした。

流れるような映像も、実際には何枚もの静止画の連続であるように、目に飛び込んでくる風景も、何枚もの止まった景色が連続で視神経へと送りこまれてきているだけなのかもしれないとして、それは文字通り何枚も連続して飛び込んできているのにも関わらず、或る一枚だけがきらりと光って残る、そんな感覚です。前触れもなく、理由もなく、突然に。美しさは入ってきて、居座ったのでした。

「それまで何の変哲もなかったものが、ある日特別なものに変化する」、そんな経験を人は一生の間に何回くらいするのでしょうか。
その「特別」は、もしかして数秒後に跡形もなく消えてしまうのかもしれません。存在したことさえ忘れてしまうのかもしれません。
もしくは、忘れてしまったとしても、心のどこかに、脳の中に、残っているのかもしれません。

記憶の断片となり、思い出のかけらとして。喜びの残光となり、哀しみの残り香として。

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