白石城跡 宮城の風景

白石城跡 宮城の風景白石城跡 宮城の風景 宮城県白石市

旧幕府軍の勢力と新政府軍の勢力が各地で激闘を繰り広げた「戊辰戦争」。日本の近代史を語る上でも、最も重要な史実の一つですが、その「戊辰戦争」の際、仙台藩、米沢藩、福島藩、山形藩、盛岡藩、松前藩、長岡藩といった陸奥、出羽、越後の31藩が新政府軍に対抗するために輪王寺宮公現入道親王を盟主として結んだ同盟が「奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)」です。

その「奥羽越列藩同盟」の成立につながったのが、現在の宮城県白石市にあった「白石城」で開かれた会議(白石列藩会議)。奥羽諸藩の代表が集まって、会津藩・庄内藩の朝敵赦免嘆願を行うこととしたのですが、それが新政府軍側に拒絶されると、奥羽諸藩は同盟を組んで新政府軍側の勢力に対抗することになったのです。

結局、旧幕府軍側は、新兵器を数多く導入し近代的な戦闘を行った新政府軍の前に敗走を重ね、箱館の地にて、土方歳三は戦死し、榎本武揚らは新政府軍へ降伏、戊辰戦争は終結します。

「奥羽越列藩同盟」が結ばれたこの白石城も、戊辰戦争後の1874年(明治7年)に民間に売却され、取り壊されてしまったのでした。

写真はそんな白石城のおよそ150年経過した現代の姿。白石城を訪れたのはポカポカと温かい秋の夕方。柔らかな夕日が城や木々に当たり燦然と輝いていました。

白石城は、明治時代に一度取り壊された後、城跡は1900年ごろに「益岡公園」と呼ばれる公園として整備されます。その後、長らく市民の憩いの場となっていましたが、戦後になって城の復元を望む声が少しずつ大きくなり、1980年代には城の復元が具体的な計画となっていきます。そうして1992年、ようやく工事が始まり、今ある三階櫓や門、土塀などは1995年に復元工事の完了と共にお目見えしたものです。

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