「金」という特別な存在ゆえに輝き、そして一度は失われた建物「金閣寺」

金閣寺 京都の風景金閣寺 京都の風景 京都府京都市北区金閣寺町

今や世界中から観光客がやってくる京都においても、トップクラスの知名度と人気を誇る鹿苑寺の舎利殿「金閣」。室町幕府の第3代将軍・足利義満の命により、1399年(応永6年)に完成したといわれるこの建物は、1408年(応永15年)に51歳でこの世を去るまで、義満の拠点として利用されました。この豪華絢爛な建物に住まい、最盛期を迎えていた室町幕府の最高権力者として、その権力・財力を誇示しつつ、政務を行っていたといいます。

また、一方で茶会や歌会などを催し、公家文化と武家文化が融合した「北山文化」が生まれました。

政治と芸術という、相入れなさそうなものの舞台となり得たのは、義満が権力者であったからという理由もさることながら、「金」という特別な存在で覆われた建物の力もあったのかもしれません。

現在、金閣(舎利殿)以外にも鹿苑寺境内には様々な建物がありますが、足利義満の死後、金閣以外の建物は移築されたり、応仁の乱で焼失したりして、江戸時代に再建されるまでその多くが失われてしまっています。そんな中、応仁の乱を生き延び、昭和の時代まで金閣は多少の傷みなどはありながらも数百年にわたり、その姿をとどめていたのです。それも「金」の特別な力ゆえでしょうか。

しかし、そんな金閣も「金」を理由として、もう少し正確に言うと「金」の美しさゆえに、焼失してしまうことになるのです。

金閣が炎上、焼失した事件 詳細はこちら↓ 「金閣はなぜ、燃えてしまったのか

金閣寺

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