「二様の石垣」 熊本城 熊本の風景

熊本城 熊本の風景「二様の石垣」熊本城の石垣と天守 熊本の風景 熊本県熊本市中央区

「強固なことで有名な城」「堅牢な城」「難攻不落の堅城」としては、北条氏の拠点であった「小田原城」や、「姫路城」、静岡の「高天神城」「山中城」、「大阪城」「江戸城」、奈良の「高取城」、鹿児島の「蒲生城」、大分の「岡城」などの名前が挙げられますが、中でもトップクラスの堅城とされるのが熊本の熊本城です。

築城の名手とされた加藤清正によって、名護屋城など数々の築城に携わった清正公の知見をふんだんに盛り込み、当時の最新技術を用いて築かれたといわれるこの城は、戦国時代はもちろんのこと、築城から250年以上経った明治時代初期(明治10年)に起きた西南戦争の際にも戦国時代にはなかった近代武器を用いた近代戦であったにもかかわらず持ちこたえ、新政府軍の守っていたこの熊本城を落とせなかった薩摩軍の西郷さん(西郷隆盛)をして、「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす。」という有名な言葉を言わしめたと伝えられているほどの城です。

その熊本城の強固な防御の要として有名なのが、時代の異なる二つの石垣が並ぶ「二様の石垣」の風景。「武者返し」と呼ばれる下部は緩やかながら上部に行くほどに傾斜がきつくなる石垣で、手前の少し緩やかな清正公の時代に築かれた石垣と、清正公の跡を継いで肥後国熊本藩2代藩主となった忠広公の時代に築かれたといわれる左(奥)の石垣が二つ並んでいる、熊本城内の中でも有名な場所となっています。

実際にこの二つの石垣を目の前にすると、その迫力ある見た目と伝わってくる圧倒的な存在感で、戦に関して全く知識のない素人の目から見ても、いかにも強固で攻めにくそう、守りが堅そうであることが良くわかるのです。

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