十津川村の風景 奈良の風景
普段、都会で生活し、コンクリートに囲まれて暮らしていると、つい自然の存在を忘れてしまうことが多い気がします。仕事も勉強も遊びも調べ物も注文も、スマホやタブレットやPCで簡単に出来てしまい、昔と比べれば圧倒的に精細で美しい映像や画像を目にすることができ、温度や湿度、明るさは快適にコントロールされ、ペットを飼ってでもいない限り他の生き物の命、存在を感じることもない。昆虫や動物、土などとは縁遠く、自然由来の不便な思い、汚い思い、不快な思いをほとんどすることもなく、「自然」と切り離され、「自然」から切り離され、生きていくことができてしまいます。「タワーマンション」とはいわなくとも高層階であれば、夏でも蚊に出会うこともなく、敷地内に駐車場がある生活であれば、雨に濡れることもありません。
そんな日々の中で、或る日、山の中に行ってみると、まるで乾燥しきった砂漠の砂に水分がしみ込んでいくように、「自然」が体中に流れ込んでくるのを感じるのです。圧倒的な生命力と圧倒的な存在感。普段の生活で感じる「絶対」がどれほどまやかしであり、「安定」だと思っているものがいかに「不安定」なのか。その荘厳な美しさと神々しいまでの清らかさの前で、ただただ自己の小ささを感じさせられるのです。悠久の歴史の流れの中で、ほんの一瞬どこかの岸にちょっと引っ掛かっているだけの小さな枯れ葉のようなものなのに、自分と自分の存在が永遠であるかのように錯覚をしているだけであることに気づかされるのです。連綿と繰り返されてきた生命の営みの中で、ただの通りすがりにしか過ぎないことに、まざまざと気づかされるのです。
写真は奈良県の南部「十津川村」の山並みと雲の絶景。雄大で素晴らしいこの光景を目にした時、あなたは一体どのようなことを感じるでしょうか。