日本の伝統的な町並み 入来麓の武家屋敷群の玉石垣 鹿児島の風景
鹿児島県薩摩川内市に位置する入来は、豊かな自然に囲まれた面積72平方キロメートルほどの地域です。2004年に川内市、樋脇町、東郷町といった市町と合併し現在は薩摩川内市の一地域となりましたが、かつては人口6000人ほどの人々が暮らす入来町という「町」でした。この入来町(現・鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名)には、中世に築かれたという「山城」で、鎌倉時代から続く薩摩の武家・入来院氏の拠点であった「清色城」や、700年以上の長い歴史を持つという「入来温泉(薩摩川内市入来町副田)」などがありますが、中でも特に有名なのが「入来麓(いりきふもと)」と呼ばれる場所です。
この「入来麓」は、「清色城」と、「清色城」の近くを流れる川内川の支流である「樋脇川」の間に位置する一帯で、中世の時代に築かれさらに近世になって拡張、整備された武家屋敷の区割りが続く街並みが残されており、「入来麓武家屋敷群(いりきふもとぶけやしきぐん)」として国の重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれているのです。
写真はそんな「入来麓武家屋敷群」の「犬ノ馬場(いんのばば)」と呼ばれる付近の冬の雨上がりの様子です。「玉石垣」と呼ばれる、川原の石を用いて作られた「石垣」の上に、さらにチャ(茶)やイヌマキ(犬槇)といった木々が植えられた「生垣」が通りに沿って続いていて、目に入り込む周囲の山々を借景にしたその整然とした美しさが目を引きます。通りの路面こそアスファルトで舗装されてはいますが、江戸時代もきっとこんな風な上品な景色が広がっていたのだろうな、と容易に想像させるほどに伝統的で落ち着いた雰囲気を纏っています。東京や大阪などは江戸時代と比べると区画も通りも建物も雰囲気も、ほぼすべてにわたって大きく変化してしまいましたが、今も通りの向こうの角から武士が刀を差して歩いてきても全然不思議ではないような「江戸時代」の面影を今に残す町並みの、とても心地よく静かなたたずまいが印象的でした。